5児のシングルマザーがバツイチ男子と出逢う前まで!!後編

モラハラが原因で調停離婚後、幸せな再婚をした5児の母。

脳内お花畑の登場人物

リョーコ:私
Uちゃん:再婚したバツイチ現夫
ピーちゃん:離婚したモラハラ旧夫

以上3名で面白おかしく、時には切なく真面目に人生日記を語たり切ります。

前回は2007年まで遡ったバツイチ男子と出逢う前までの前編

クラフトワークに出逢い、人との繋がりが広がりメンターと出逢い、そして働き方への意識も変わり、10年以上かかって私が私らしく生きることの大切さに気付き始めたところから話が続きます。

離婚準備期間への突入と働き方の転換

ピーちゃんと再構築?いやいや離婚??揺れ動く乙女心のように右往左往していた2108年。

年が明け、だんだんと離婚への気持ちが色濃くなっていく日々。しかし、子どもたちへの精神的な影響を考えるとその一歩が踏み出せず足踏み状態が続いていました。

それでも『選択肢のひとつとして離婚の準備はしておきたい!!こままの人生、今のままの私で終わりたくな~い!!!』2019年4月、パートタイムからフルタイム勤務へカムバック。

パートタイムでもピーちゃんと同等の収入があったものの、社会保険の適応とか、福利厚生とか、諸々を加味し、子どもたち5人を養い育てるためにはフルタイムへ戻る以外の選択肢はない!ということで、あっさりとクラフトワーク起業への希望を白紙にし、本職に戻りました。

この決断を最も反対したのはピーちゃん…。

「自分から起業すると言って辞めた前職。そんな中途半端な気持ちだったのか!?呆れるわ!!!」と、ことある毎に怒り口調でキレッキレでした。

その当時の私は上記↑の言葉を浴びる度に悪いことをしているような、ダメな人認定をされているような気分になり、罪悪感が湧いていたことも…。

今なら、前職(フルタイム)の退職も、パートタイムへの転換やクラフトワークの起業も、フルタイム勤務への路線変更も、すべて私が自分で選んで行動したこと。その行動の責任は私にあるので、キレッキレ言動に対して丁重にお断り案件ですね。

ピーちゃんとの離婚決意と離婚をするための行動

私の中で徐々に離婚に対する意識の変化が生じ始め、2019年6月に大きな出来事が…。

6月末のある夜、私が残業に出ていた家では『ピーちゃん、妻の浮気を疑い子らの前で大暴れの巻』が繰り広げられ、この一件が私の中で大きな決断案件となり離婚を決意。

その後、ピーちゃんと何度か話し合いをするが全く話し合いにならず…。

翌月の7月頭には、別居先のアパートを即契約。その10日後には子どもたちを連れ、持ち家を離れ別居を開始。協議離婚が出来ないと判断をし、同時に調停も開始。

別居生活の中で、経験を記録に残そうとブログを立ち上げる。アメブロで離婚カテゴリーランキング7位を獲得。←この私の行動が後にUちゃんとの出逢いに繋がっていきます。大変重要はkeyとなるので記憶の片隅に…。

長期戦となると思っていた別居生活でしたが、調停員や弁護士さんのお蔭様もあり、ピーちゃんが持ち家を手放し、5人の子どもたちの親権は私が持つということでお互い納得し、5回という短さで11月末に離婚が成立。

翌月には子どもたちと持ち家へ戻り、母子家庭としての生活を開始しました。

夫婦不仲全盛期の選びが今の幸せな私を創っている

2部に渡って綴った『バツイチ男子と出逢う前まで』

何の接点のない点と点のような出来事や選びがこれからUちゃんとの出逢いに繋がっていきます。

キーワードは『クラフトワーク』『ブログ

その当時は全く意識していませんでしたが、振り返ってみると全てが今に繋がっています。

あの時、その時、この時、どれか一つでも選び損ねていたら、違った選びをしていたら、そもそも何も選ばなかったら、今の私も夫婦も家族もいません。行動したから今がある。

過去が今を創り、今が未来を創り、全部自分の中にあって自分を映し出す鏡!!!!!

ピーちゃんとの出逢いもまた同じくで結婚、離婚したことも必然。今なら軽やかにサラっと言えちゃう私でーすーがー、そう思えない程遠い場所にいた時期があります。

そこで次回からは、Uちゃんとのミラクルな出逢い物語のプロローグを脱線しまして、別居から離婚までの人生台風期についてたっぷりと。調停離婚の実際についてもお伝えしていきます。